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大人の事情

結婚相談所の退会理由に、四人続けて「条件」と打った月末

恋愛約 6 分公開 作:X

この物語はフィクションです。語り手・登場人物・団体は架空のもので、実在の人物・団体とは関係ありません。

面談室で、灰色のスーツの男性が折りたたんだ紙を差し出し、女性カウンセラーが微笑みのまま見つめる

この話は

結婚相談所のカウンセラー、44歳の矢島理恵は、今月退会した4人全員の理由欄に「条件が合わない」と入力した。会員が全員同じ理由で辞めていくのは、本当に会員のせいなのか。

目次(5 章)
  1. 1月末の退会処理
  2. 2堂本さんの最後の面談
  3. 3昼のあとの先輩評
  4. 4変更履歴の一行
  5. 5四十字に収まらない

月末の退会処理

管理画面の「退会理由」は選択式だ。矢島理恵は今月、4人分とも「条件が合わない」を選んだ。

44歳。駅前の結婚相談所のカウンセラー。「その他」は、入社してから一度も押したことがない。

月末の午前10時。事務スペースの端で、理恵はマウスを動かしている。

プルダウンを開く。いちばん上に「条件が合わない」がある。

いちばん多い理由だから、いちばん上にある。クリックしやすい。

3人目まで、理恵は迷わなかった。

4人目の欄に、堂本祐介と出ている。41歳。入会から14か月。

紹介は47件で、成立は2件。最後の面談は午後1時だ。

「矢島さん、今月も全部、条件ですね」

隣の席で、後輩の野村美咲が成婚報告の書類をそろえている。

「そうね。よくあることだから」

「その他は、使わないんですか」

「使うと、店長が理由を聞くでしょ」

店長の戸田は、「その他」の件にだけ必ず「理由は?」と聞く。

「条件」なら聞かない。数字がそろっていれば、中身は見ない人だ。

窓口の壁に、成婚率の掲示が貼ってある。「当会の成婚率 11%」。マジックの字は、先月と同じ。

理恵の担当は38名。棚の背表紙の色は、全部そろっている。

堂本のファイルを抜く。いちばん上に、希望条件シート。

入会日の日付と、ボールペンの字。14か月たっても、紙は少しも変わっていない。

理恵はそれを、いいことだと思った。

会員が成婚しないのは、条件を手放せないから。自分は、現実が見えている側。

そう思って、保存を押した。

堂本さんの最後の面談

午後1時。昼休みのあとの面談室。

堂本祐介は5分早く来た。グレーのスーツで、紙袋を膝に置いている。

「今日は、すみません。お時間をいただいて」

「いえ。14か月、お疲れさまでした」

堂本は紙袋から、折りたたんだ紙を出した。入会のときに渡した、条件シートのコピーだ。

「これ、持ってきました。いえ、コピーなんですが」

「ご自分で、取っておかれたんですね」

「最初にいただいたので。……どの方も、最初の紙の通りの、いい方ばかりでした」

理恵は小さく頭を下げた。

褒められたと思った。条件を正確に写した仕事への、お礼だ。

「ありがとうございます」

「ただ、紹介していただいた方が……みなさん、その」

堂本は言いかけて、手の中の紙を見た。

「条件が合わない、よくあることです」

理恵は先に言った。

堂本の口が、少し開いたまま止まった。

「……いえ、大丈夫です」

彼は紙を折りなおした。同じ折り目で、きれいに。

やっぱり、と理恵は思った。この人は、最初の紙から動けない人だ。

手元の面談メモをめくる。先月の欄に「幅を広げたい」とある。

あれは、その場の気分だ。変更の申請書は引き出しにある。本人がもらいに来なかったから、出していない。

面談は10分で終わった。

「お世話になりました」

理恵は名刺を1枚、差し出した。堂本はもう3枚持っている。その上に重ねて、名刺入れの奥にしまった。

ドアが閉まる。堂本の言いかけは、そのまま廊下に残った。

昼のあとの先輩評

事務スペースに戻ると、野村がコーヒーを2つ置いていた。

「堂本さん、いい人でしたよね」

「いい人よ。だから難しいの」

「難しい、ですか」

「条件を手放せない人は、手放せないまま終わるの」

理恵はコーヒーを一口飲んだ。続きが、勝手に出てくる。

「最初に紙に書いたのが本音なの。面談で『広げてもいい』って言うのは、その場の気分。そのまま信じたら本人のためにならない」

「はい」

「それに変更は、本人の申請書がいるでしょ。もらってないものは、勝手に直せない。規則を守ってるだけ」

「はい」

「退会理由だって選択式。『条件』がいちばん多いのは、みんなそうだから。ほかを選ぶと店長に聞かれて、時間がかかる」

3つ並べると、きれいに聞こえた。

野村は何も言わなかった。ペンを持ったまま、うなずいている。

理恵は、いい聞き方だと思った。

「要約、作りますね。堂本さんの退会面談の」

「お願い」

野村は自分の机に戻って、管理画面を開いた。

「あ、面談メモの日付、1日ずれてます。これ、直していいですか」

「直して。そういうのは、すぐ直していいの」

野村は日付を直した。キーボードの音が軽かった。

画面が切り替わる。条件欄の履歴が開いた。

変更履歴の一行

「あれ」

野村の手が止まった。

「堂本さんの条件、最終更新が入会日のままです」

「そう。申請書がないから」

「はい。あと、メモに……幅の変更希望が、3回あります」

野村は日付を、画面の通りに読み上げた。

「去年の11月22日。今年の3月8日。先月の19日」

「それは、本人が」

「全部、矢島さんの字です。……あ、すみません。読んじゃいました」

理恵は「規則」と言いかけた。口が先に動いた。

「申請書がないと、直せないの。規則で」

「はい。ないです」

野村は否定しなかった。それだけだった。

理恵は自分の席に戻った。担当38名を、条件の更新日で並べ替える。

日付が並ぶ。入会日と同じ日付が、ずらりと続く。

数える。数えたことはなかった。

11人。

38人のうち11人が、初日の紙のまま、今月も紹介を受けている。

堂本のページに戻る。紹介47件の、年齢の欄を見る。

28、29、31、30、33、29、34……。

全部、28から34の間に収まっている。

条件シートの年齢は「28〜34歳」。堂本は41歳だ。

最初の紙の通りの、いい方ばかりでした。

あれはお礼ではなかった。

「矢島さん」

「堂本さんの退会理由。これも、直していいですか」

「……それは、私が直す」

四十字に収まらない

退会理由の欄を開く。

「条件が合わない」を、「その他」に変えた。入社して初めて押した。クリックは、思ったより重かった。

理由の欄が開く。入力は40字まで。

理恵は打った。

「本人から年齢の幅を広げたいと3回言われたが、申請書を渡さないまま、入会日の条件で紹介を続けた」

赤い字が出る。46/40。

「本人から」を消す。「入会日の条件で紹介を続けた」を消す。

いちばん長い所が、いちばん言いたいことだった。

残った文を直す。「年齢の幅を広げたいと3回言われた。申請書を渡さず、更新しなかった」。32/40で収まった。

後ろに人が立った。戸田だ。

「矢島さん。その他、ですか」

理恵は振り向かずに、保存を押した。

「書きました。そこに」

戸田の口が「理由は」の形に動いて、止まった。画面にもう書いてあるからだ。

彼は2秒だけ画面を見て、目をそらした。

「……月次は、これで出します」

理恵は堂本の携帯に電話をかけた。呼び出し音が9回鳴った。

留守番電話に切り替わる。ピーという音。

理恵は息を吸った。何も言わずに切った。

堂本の画面には、「みなと結びの会」の不在着信が1件、残るだけだ。


夜7時。事務所には、理恵しかいない。

プリンターから、11人分のリストが出てきた。名前と、入会日と、更新していない日付が並んでいる。

確認の連絡を始めれば、来月の紹介はいったん止まる。窓口の「11%」は、たぶんもう貼り替えることになる。

明日の朝に回せば、今夜は帰れる。理恵はリストの一番上の番号を押した。

2コールで出た。

「はい」

「みなと結びの会の矢島です。夜分にすみません。条件のことで、確認を」

「あ、幅のことですか」

相手は、すぐに言った。

「ずっと言ってましたけど」

結び

「条件が合わない」は便利な言葉だ。辞める人にも、辞めさせた側にも使える。初日の紙を手放せなかったのは、どっちだったのだろう。