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大人の事情

親友の皿のしいたけを、彼氏はなぜ取るのだろう

恋愛約 4 分公開 作:X

この物語はフィクションです。語り手・登場人物・団体は架空のもので、実在の人物・団体とは関係ありません。

鍋を囲む三人。女の視線は彼氏の箸先に止まり、親友は湯気の向こうで俯いている。

この話は

親友ひなたとの毎月の鍋に彼氏が加わり、33歳の図書館司書補・真央は、彼がしいたけを取る回数を数えている。親友の好物を一番知っているのは、本当に自分なのか。

真央は33歳で、緑ヶ丘市立図書館の司書補をしている。毎月第二金曜は、親友ひなたの家で鍋をする。

今夜はそこに、ひなたの彼氏の悠真がいる。悠真はひなたの皿から、しいたけだけを自分の皿に移した。真央はこれで3回目だと数えた。

ひなたとは高校からの付き合いで、鍋は14年続いている。

二日前から干ししいたけを戻して出汁を取るのは、真央の係だ。いつも同じ店の、高いほうを使う。

「ほんと好きなんだよね、これ」

ひなたが言った。早口だった。

悠真は何も言わない。ひなたの皿が埋まると、また箸を伸ばした。

「いい、いい、俺が食べるから」

ひなたは笑って、水差しに手を伸ばした。今夜、もう3杯目だ。

悠真の椅子の足元に、鞄が置いてある。口が開いていて、胃薬のシートが見えた。

食べ過ぎる人なんだ、と真央は思った。


真央はトイレに立って、スマホのメモを開いた。

「悠真 しいたけ 3」

悪口じゃない。見たことを覚えているだけだ。

数えるのは、記憶力の問題だと思う。


帰り道、真央はひなたにメッセージを送った。

「今日も取られたね」

返信は1時間後だった。

ウサギが頭を下げるスタンプが、ひとつ。

いつもなら5分で返ってくる。真央はそれを「疲れているんだな」と読んだ。

嫌っているわけじゃない。気づいたことを、親友に伝えているだけだ。

悠真の話を、誰かにするつもりもない。ただ事実を並べている。


翌朝、真央はもう一度送った。

「ひなた、しいたけ足りてる?」

今度は10分で返ってきた。

「大丈夫」

それだけだった。

ひなたは気をつかう子だ。言いにくいのだろう、と真央は思った。


翌週、ひなたと共有しているアルバムを開いた。

悠真とのツーショットが増えていた。水族館の前でも駅のホームでも、コンビニのおでんの前でも。

真央は指で拡大して、ひなたの顔を見た。笑っている。

次の鍋まで、まだ3週間ある。

真央は台所に立って、戻す時間を2時間のばすことにした。

手間は惜しんでいない。ひなたのためにやっている。

メモ帳には、数が並んでいる。

しいたけ 3。返信 1時間。戻す時間 プラス2時間。

どれも、ひなたのために数えたものだ。


同じ金曜の帰り道、悠真は駅のベンチで胃を押さえていた。

35歳。北見設備工業で、水道設備の施工管理をしている。現場の日は帰りが遅いが、鍋の日は早く上がる。

手に、まだしいたけの匂いが残っている気がした。

最近は、湯気を嗅ぐだけで胃が重くなる。

鞄から胃薬のシートを出した。残りは2錠。


付き合って1か月の夜だった。ひなたの部屋で、ひなたが小さい声で言った。

「実はわたし、しいたけだめなんだ」

「え、鍋の。好きなんじゃ」

「高校を出た春、真央が初めて作ってくれてさ。おいしいって言っちゃったの。真央、すごく嬉しそうで」

「言えばいい」

「言ったら、14年がなくなる」

悠真は言い返せなかった。

だから黙って、皿を動かすことにした。

真央に話す気はない。あの席を壊したくなかった。

ただ、ひとつだけ引っかかっている。

ひなたは、自分には言える。悠真には「苦手」と言えたのに、真央には言えない。

悠真は、それが少しだけ面白くない。

14年というのは、そういう長さなのだろう。悠真が食べても食べても、減らない。


スマホが鳴った。ひなたからだ。

「今日もごめん。ありがとう」

悠真は「いい、いい」と打った。

送る前に、胃薬を1錠、水なしで飲んだ。


翌月の第二金曜。

真央は、店でいちばん高い箱入りの干ししいたけを買ってきた。3日前から戻してある。

今までで、いちばんいい出汁が取れた。

「ほんと好きなんだよね、これ」

ひなたが言った。いつもより少し早口だった。

悠真の手が、ひなたの皿に伸びた。

真央は箸を置いた。

「ひなたの分、取らないで」

ひなたが固まった。

悠真の手も、空中で止まる。

「……じゃあ、俺の分で」

悠真は自分の皿のしいたけを、ゆっくり食べた。全部食べた。

ひなたは一拍おいて、真央を見た。

「ありがとう」

真央は、勝った気がした。

ひなたは自分の皿のしいたけを、ひとつ口に入れた。水を飲んだ。

おいしそうに食べている、と真央は思った。

悠真は皿を空にしたあと、黙って立った。「水、取ってくる」と言って、台所に消えた。


帰り道、真央は少し笑った。

14年。ひなたの好物を一番知っているのは、私だ。

スマホの買い物メモに打つ。

「干ししいたけ 二袋」

ひなたの皿には、14年目のしいたけが山盛りで残っていた。

結び

「一番知っている」って、便利な言葉だねえ。比べる相手が見えていなくても、言える。次の第二金曜も、もう決まっている。

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