この話は
34歳の経理の男が、元カノの結婚式二次会で受付を自分から引き受けた。余裕を見せきったその夜、彼は何を引き換えにしたのか。
受付机の上には、白い芳名帳と筆ペンが一本。そこに座っているのは水野拓海、34歳。今日は元カノ・彩花の結婚式の二次会。受付は自分から「やるよ」と言った役だ。
拓海は住宅設備メーカーの経理で、金を数えるのが仕事だ。筆ペンは自分の名前で3回試し書きをしてから置いた。
話は二週間前に戻る。
共通の友人が、写真つきの投稿をしていた。
白いドレスの彩花が、知らない男と並んで笑っている。「結婚しました」と書いてあった。
拓海は画面を閉じた。もう一度開いた。いいねの数がさっきより2つ増えていた。
「見た? 彩花のやつ」
その夜、友人から電話が来た。
「見たよ。よかったじゃん。全然気にしてないから」
「だよな」
「いや、ほんとに。全然気にしてないから」
「……そこまで聞いてないけど」
翌日、彩花から二次会の案内が届いた。
最後に一行ある。「来てくれるだけでうれしい」。
拓海はその一行を4回読んだ。
幹事の前田凛が、二次会のグループメッセージを作っていた。
「受付と会計、まだ決まってなくて」
凛の書き込みの下で返信欄が開いている。拓海の指は、考える前に動いた。
「受付、やるよ」
「え、いいんですか。じゃあ、お願いしちゃっていいですか」
「もちろん。何でもやるよ」
平気だとは、打っていない。何でもやる、と打っただけだ。
祝儀袋には相場より1万円多く入れた。3万円のところを4万円。
新札の向きは全部そろえた。
準備は思ったより楽しかった。
拓海は受付名簿を表計算のソフトで作った。招待客は42人。名前、読み、関係、会費の欄に、色までつけた。
前日の夜には印刷して、クリップで留めた。誰に見せるわけでもないのに、角をそろえた。
会計の封筒は、百円ショップで買った。20枚入りが2袋。
レジの横に、小さな釣り銭トレーが並んでいた。それも買った。
ネクタイは新調した。紺に細い銀の線が入ったものだ。店員は「お祝いにぴったりです」と言った。
「ぴったりですか」
「はい。控えめで、でも品があります」
拓海は控えめという言葉が気に入った。
昼休みに、同期が声をかけてきた。
「水野、大丈夫か。元カノの二次会に受付で行くんだろ」
「大丈夫って何が。祝ってるだけだよ」
週末には、大学の友人にも聞かれた。
「無理してない?」
「してない。祝ってるだけ」
同じ答えが、同じ速さで出た。拓海は数えなかった。
グループメッセージには、毎日何かが流れてくる。
花屋の請求書。ケーキの領収書。景品の購入レシート。凛が撮った写真が、次々に上がる。
「すみません、立替の精算もまとめてお願いできますか。わたし、数字が苦手で」
「いいよ。あとでいいよ」
1枚目のレシートに、拓海は「あとでいいよ」と返した。
2枚目にも返した。3枚目にも返した。
凛から段取り表が届いたのは、前の晩だった。
「乾杯のとき、受付は無人になっちゃうので。水野さんは受付で待機、でいいですか」
乾杯の時間に、席を外す。拓海はそれを気が利いていると思った。
役が1つ増えるたびに、背中がまっすぐになった。
二次会の会場は、貸切のレストラン「ラ・メゾン青葉」。受付は入口の脇に置かれた。
開場の30分前に、拓海は着いた。名簿を開く。封筒を並べる。釣り銭トレーに千円札を10枚入れた。
最初に来たのは、彩花の友人たちだった。
「え、拓海さんですか。彩花の元カレの」
「そうです。今日は受付係です」
「うそ。元カレなのに、器が大きい」
「いやあ、祝ってるだけですよ」
ひとり来るたびに、同じ言葉が返ってきた。
「余裕あるね」
「祝ってるだけだよ」
拓海は笑った。頬が少し痛くなってきたが、笑った。
新郎の大地が来たのは、開場の10分前だった。
背が高くて、人当たりがいい。拓海に気づくと、早足で近づいてきた。
「水野さんですね。高梨大地です」
両手で握手された。大地の手は、少し汗ばんでいた。
「彩花から聞いてます。いちばん頼れる友達だって」
「いやいや、そんな」
「受付まで引き受けてもらって。いやあ、さすがです」
大地は深く頭を下げた。
その後ろに、彩花が立っていた。ドレスの裾を持って、拓海を見ている。
「拓海。ほんと助かる」
彩花の目が、少し潤んでいた。
拓海は思った。勝った、と。
誰も疑っていない。この部屋の全員が、「あの人は余裕だった」と思って帰る。
「今度、うちにも遊びに来てください」
大地は握手したまま、そう言った。社交辞令の速さだった。
乾杯の合図で、人が奥へ流れていく。拓海は段取り通り、受付に残った。
奥で歓声が上がる。グラスの音がする。
後で凛が、乾杯の写真をグループに上げた。
40人が写っている。拓海は、そこにいなかった。
二次会は、予定の時間に終わった。
拓海は封筒を数えた。42人分、1枚も欠けていない。釣り銭トレーの千円札は、出る前と同じ10枚に戻っていた。
「水野さん、本当に助かりました。会計もぴったりで」
凛は早口で礼を言って、タクシーに乗った。
空の花瓶を、スタッフが運んでいく。拓海は最後に、筆ペンのキャップを閉めた。
駅までは、歩いて12分。
財布を出して、定期を探した。レシートが1枚、折れて入っている。
大地が立て替えた、受付の飾り花の代金だ。「あとで精算で」と、彼は言った。
拓海は「あとでいいですよ」と答えた。そのレシートは、まだ財布にある。
改札の前で、スマホが震えた。彩花からだった。
「今日ほんとありがとう。拓海は何も思わない人だから、頼めた」
拓海は、その一文を読んだ。
もう一度読んだ。それから、続きの行を見た。
「次の引っ越しの手伝いも、お願いしていい?」
すぐに、大地からも届いた。ほとんど同じ文面だった。
「引っ越し、お願いできたら心強いです。さすがです、水野さん」
何も思わない人。
今日、いちばん褒められた言葉だった。
拓海は返信欄を開いて、「いいよ」と打った。
消した。もう一度、「いいよ」と打った。
送信を押した。
既読は、3秒でついた。
「ほんと助かる」



