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大人の事情

同窓会で年収を盛ったら、会費はいくらになりますか?

見栄約 6 分公開 作:X

この物語はフィクションです。語り手・登場人物・団体は架空のもので、実在の人物・団体とは関係ありません。

居酒屋の座敷で、誇らしげに年収を語る男と、名刺の束を膝に置いて固い笑顔を作る男、伝票を抱えた幹事の女

この話は

38歳の営業主任が、同窓会の受付で自費の名刺を出し、二次会で年収を倍近く言った。その一言は、あとでいくらの請求になって返ってくるのか。

目次(5 章)
  1. 1同窓会の受付で
  2. 2二次会で年収を聞かれる
  3. 3グループチャットの翌週
  4. 4幹事会で会費の話
  5. 5振込の画面の前で

同窓会の受付で

同窓会の受付は、駅前ホテルの宴会場の入口にあった。

俺は坂口修二、38歳。ビル清掃会社の営業主任だ。なのに先月自分で刷った『営業統括マネージャー』の名刺を、幹事の前に出した。

北浜高校の卒業20年。学年同窓会だ。

受付に座っていたのは、幹事の森田千夏だった。

「坂口くん! 来てくれたんだ」

森田は名刺を受け取って、声に出して読んだ。

「営業統括マネージャー。えらい」

森田が笑う。後ろに並んでいた何人かが、こっちを見た。

「いや、名前だけだよ」

俺はそう言った。嘘だとは思っていない。

仕事の中身に近い呼び名を選んだだけだ。現場の統括みたいなことは、実際にやっている。

名刺は200枚で4000円。名刺工房ミドリの、いちばん紙のいいやつにした。

本物の名刺は、財布の奥に入れてある。

「会費、8000円ね」

森田が名簿に丸をつける。

「払ってない人はすぐ分かるよ。数字は覚えてるから」

机の横の壁に、案内が貼ってあった。

『来年は恩師の傘寿(80歳)祝いを予定しています。会費は幹事会で見直し予定』

「先生のお祝い、積立がぜんぜん足りなくてさ」

森田は封筒の中身を数えながら言った。

「今日の分だけじゃ、花束も怪しいの」

「そうなんだ」

俺は笑ってうなずいた。他人事の顔をした。

8000円を渡して、会場に入った。

まだ誰にも損はさせていない。

二次会で年収を聞かれる

二次会は駅裏の居酒屋だった。座敷の長い席に、24人ぐらい残った。

最初に年収を言ったのは津田哲也だ。地元の工務店の三代目になる。

「俺、去年1200。親父がまだ現役だからさ、楽させてもらってる」

笑いが起きた。津田は笑いに乗って、隣を指さした。

「次、お前。いくら」

順番に回っていく。

「500ちょいかな」

「うちは350」

「正直だなあ。いいじゃん、いいじゃん」

俺の番が近づく。ハイボールの氷を、指で回した。

460と言うつもりだった。本当だ。

「坂口は?」

口が先に動いた。

「八百くらい」

一瞬、静かになった。そのあと津田が膝を叩いた。

「おお! 統括マネージャー、やっぱ違うな」

誰も聞き返さなかった。

隣で森田が手帳を開いた。ペンを動かす仕草をする。

「八百ね」

冗談みたいな、小さい声だった。

盛ったんじゃない。丸めただけだ。

あの場で460と言ったら、場が白ける。言いやすい数字にしただけだ。

460を丸めて800になる算数は、どこの学校でも習わない。

会計のとき、津田が伝票を俺の前に置いた。

「稼いでる人が出すのが筋でしょ」

みんなが笑った。森田も笑った。

伝票は18000円。割り勘なら、1人750円だ。

俺はカードを出した。自分の金だ。誰にも迷惑はかけていない。

「ごちそうさまです!」

座敷に声が並んだ。

その夜は、悪くない気分だった。

グループチャットの翌週

翌週、同窓会のグループチャットに津田が書き込んだ。

「八百組で何か面白いことやろうぜ」

八百組。俺のほかにも、あと2人いるらしい。

「知り合いのキャンプ場に出資する話があってさ。坂口もどう?」

画面を見たまま、10分固まった。

「ごめん。今は手持ちを動かせなくて」

「そっか! また今度な」

津田はすぐ返してきた。軽い返事だった。

次はゴルフに誘われた。「決算前でさ」と断った。

その次はキャンプ場の見学だった。「資金は全部、定期に入れてて」と書いた。

動かせない手持ちが、決算になり、定期になった。

営業主任の俺が、決算を理由に断る筋はない。

嘘が増えると、金も要る。

八百万の人の手首に、安い時計は似合わない。

駅前の店で、時計を買い足した。24回払いだ。

名刺もあと100枚、名刺工房ミドリに頼んだ。2500円。

最初の200枚は、まだ170枚残っているのに。

日曜に母から電話が来た。

「修二、元気にしてるの」

「うん。仕事は順調」

「部長になった」と、言いかけた。

口を閉じた。

「そう。ならいいけど」

母は少し黙った。それ以上は聞かなかった。

電話を切ってから、数えた。

名刺は270枚。時計は24回。ついた嘘は4つ。

ちゃんと数えている。数えていれば、管理できていると思った。

幹事会で会費の話

翌月の頭、森田から連絡が来た。

「幹事会に顔出してくれない? 駅前のファミレス。木曜の7時」

「いろんな業界の人の意見がほしくてさ」

断る理由が、その日は思いつかなかった。

ファミレスの奥の席に、幹事が4人いた。森田もいた。

幹事じゃないはずの津田もいた。

「津田くんはオブザーバー。会費の分け方、言い出したの津田くんだから」

テーブルに、ドリンクバーのコーヒーが人数分並んでいる。

森田が電卓を置いた。

「単刀直入にいくね。傘寿祝い、今の積立だと30万足りない」

「50人来ても、会費8000円じゃ届かないの」

配られた紙に、3つの枠が書いてあった。

『500万円未満 8000円』
『500万円〜800万円 15000円』
『800万円以上 30000円』

「自己申告でいいから。年収帯で3段にしたいの」

津田が真っ先に手を挙げた。

「賛成。稼いでる人が出すのが筋でしょ」

俺は黙っていた。コーヒーはとっくに冷めていた。

「あ、そうだ」

津田が俺を見た。

「八百の人、いたよね。坂口だ」

全員がこっちを向いた。

森田が手帳をめくる。指がページの途中で止まった。

「あった。坂口くん、八百」

「数字は覚えてるから」

俺は口を開けた。

「あれは」

その先が出てこない。

「460なんだ」と言えばいい。たった数文字だ。

言えば、二次会の伝票が全員の頭に戻ってくる。津田の顔も見える。

俺は冷めたコーヒーを飲んだ。

「……いや、なんでもない」

「じゃ、坂口くんは最上段ね。来月の振込からお願い」

返事の声は、「はい」にも「うん」にもならなかった。

振込の画面の前で

その夜、家でスマホを開いた。

幹事会の案内が届いている。振込先と、金額の欄がある。

振込のアプリを立ち上げて、「30000」と打った。

指が止まる。

メッセージ欄に、書いてみた。
『すみません。実は』

消した。
『区分を訂正させてください』

消した。
『年収は460万です』

3回書いて、3回消した。

460万の手取りは、月に29万ぐらいだ。3万円は、その1割。

下の段で払えば、差額は22000円。毎年それだけ浮く。

でも訂正は、22000円で済まない。

津田の顔。森田の手帳。170枚残った名刺。24回の時計。

全部を取り消す代金は、3万円より高い。

二次会の夜、森田が手帳に書いた「八百ね」を思い出す。

覚えていたのは、聞いた側だった。

案内を下までスクロールする。最後に、一行あった。

『次回以降も同区分とします』

来年は傘寿祝い。その次の年も、同窓会はある。

嘘を取り消すより、嘘を払い続けるほうが安い。計算は、そう出た。

送信ボタンを押した。
『振込が完了しました』

3分後に、森田からスタンプが届いた。笑った顔の絵に、文字がついている。

「八百万の人は三万円ね」

俺は「了解」と返した。