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大人の事情

「参画も主導も同じ会議だろ」と経歴書を直した夜

仕事約 7 分公開 作:X

この物語はフィクションです。語り手・登場人物・団体は架空のもので、実在の人物・団体とは関係ありません。

面接室で、赤ペンを止めた面接官と、膝のメモを押さえる男が向かい合う

この話は

転職活動中の34歳の在庫管理担当が、職務経歴書の「参画」を「主導」に一語だけ直して応募した。その一語は、入社したあとどんな形で返ってくるのか。

目次(6 章)
  1. 1日曜の夜、経歴書の一語
  2. 2一次面接で人数を聞かれる
  3. 3内定と、前の席の竹内さん
  4. 4入社初日に任された仕事
  5. 5切替リハーサルの朝
  6. 6部長室で経歴書を開く

日曜の夜、経歴書の一語

浅野健太は34歳で、川端食品卸の在庫管理をしている。転職サイトに下書き保存した職務経歴書を、日曜の夜に開くのが3週続いている。

開いて、一語だけ直して、保存する。今夜の一語は「参画」だった。

画面の真ん中に、一行ある。

「在庫システム刷新プロジェクトに参画」

二年前の話だ。会議は毎週あった。浅野は全部出た。

役目は議事メモ。ホワイトボードを写真に撮り、箇条書きにして配る。

刷新を率いたのは、同じ課の竹内さんだった。

先週は「関わり」を「参画」に直した。そのときも一語だけだった。

浅野はカーソルを、「参画」の後ろに置いた。

「会議には出てたんだから」

声に出すと、冷蔵庫のモーター音だけが返ってきた。

「参画も主導も、あの会議のことだろ」

同じ会議に出ていた事実は、どちらの語でも変わらない。語を替えただけだ。出来事には触っていない。

「参画」を消す。「主導」と打つ。

2文字が2文字に変わっただけで、行の長さは同じだった。

嘘は書いていない。浅野はそう思いながら、保存を押した。

翌朝、通勤電車の中で「応募」も押した。

一次面接で人数を聞かれる

港北ロジスティクスの面接室は、倉庫に隣り合った事務所の二階にあった。窓の下をフォークリフトが走っている。

向かいに座った物流改善部長の久世典子は、職務経歴書を手に持っていた。右手には赤いボールペン。

久世は一行目から読み、「主導」のところで手を止めた。

赤い線が一本、すっと引かれた。

「メンバーは何名でしたか」

「5名です」

「欠品率は、どう変わりましたか」

「18パーセントから6パーセントです」

数字は社内報から拾った。プリントして蛍光ペンを引き、昨夜3回読んだ。

久世は数字を書き留めて、ペンを止めた。

「判断したのは、どなたですか」

想定問答にない質問だった。

「チームで話し合いました。最終的には、私が」

「そうですか」

久世はそれだけ言って、次の質問に移った。声は落ち着いていた。

浅野はその落ち着きを、好意だと受け取った。


帰りの電車で、スマホのメモを開く。

想定問答は3行だった。「人数5」「欠品率18→6」「役割は全体調整」。

浅野は指を動かした。「反対意見の収め方」「失敗した話」「判断の根拠」……。

駅に着くころには、11行になっていた。

「判断の根拠」の下だけ、空白のままだった。

準備なら人一倍している。手間は惜しんでいない。浅野は11行のメモを見直して、満足そうに保存した。

内定と、前の席の竹内さん

内定の連絡は、面接の4日後に来た。

港北ロジスティクス、物流改善課の課長代理。年収は90万円上がる。

浅野はメールを3回読んで、スマホを裏返した。

退職届を出した日、総務の森多恵に呼び止められた。

「先週、在籍確認のお電話がありました」

「あ、そうですか」

「在籍と役職だけでよろしいですね、とお聞きしたので。そのとおりにお答えしました」

「それだけ、ですか」

「それだけです」

森は書類に判を押した。余計なことは言わない人だった。

役職は「担当」。役割は誰も聞かなかった。

浅野は席に戻って、長く息を吐いた。


送別会は駅前の居酒屋で、課の6人が集まった。

竹内は浅野の隣で、枝豆の皮を皿に重ねていた。

「課長代理か。出世したな」

「たまたまだよ」

「あのメモ、助かったよ。ほんとに」

「リーダー経験が評価されたみたいで」

浅野は笑って言った。ジョッキの縁を、指でなぞりながら。

竹内が黙った。

1秒か2秒。枝豆の皮をつまんだ手が止まっていた。

「……じゃあ俺は、浅野リーダーの部下だったってことにしとくか」

周りが笑った。浅野も笑った。

「飲み代は向こうの課長代理持ちな。あと有給、ちゃんと消化しとけよ」

帰り道、浅野は名刺の注文を入れた。肩書きの欄に「課長代理」と打つ。100枚。

入社初日に任された仕事

入社初日の朝、浅野は新しい名刺を胸ポケットに入れて出社した。

「課長代理 浅野健太」。インクの匂いがまだ残っていた。

久世は挨拶のあと、3分で用件を言った。入替まで、ひと月しかない。

「来月の倉庫の在庫システム入替、あなたに全部任せます」

「全部、ですか」

「全部です。私は役員への報告に回ります」

部下は4人。いちばん若い一ノ瀬蒼が、資料の束を抱えて頭を下げた。

「一ノ瀬です。よろしくお願いします」

午後は、ベンダーとの初回の打合せだった。倉庫併設の会議室で、相手の担当者が名刺を見て言った。

「前職でも刷新を主導されたとか。切替方式は、どれでしたか」

「段階移行です」

即答だった。竹内が会議で何度も言っていた言葉だ。耳が覚えていた。

「それなら話が早い」

打合せのあと、一ノ瀬が近づいてきた。

「前の会社の移行計画書、見せてもらえますか」

「社外秘でね。持ち出せないんだ」

「そうですか」

一ノ瀬は素直にうなずいた。手帳に「社外秘」と書き込んだ。


その夜、浅野は竹内に電話した。

「久しぶり。思い出話のついでにさ。移行計画書のひな形、まだある?」

「あるよ。数字は消して送るわ」

「助かる」

「こっちの台詞だよ。あのメモ、助かったからな。お互いさま」

15分後にファイルが届いた。27ページ。

浅野は手順の表だけを、自分の資料に写した。

最後のページに、小さい字の脚注があった。「※夜間バッチ停止が前提」。

浅野は下までスクロールして、ファイルを閉じた。

手順は写した。脚注は手順ではない。

切替リハーサルの朝

切替リハーサルの朝は、5時半に始まった。

倉庫併設の会議室に、浅野の班とベンダーと現場のリーダーが集まっている。

浅野の手元には、竹内のひな形から写した手順表があった。

「では、手順どおりいきます」

浅野が言うと、ベンダーの担当者がキーを叩いた。

手順の4番。旧システムの夜間バッチを止めて、新システムに切り替える。

画面の表示が変わった。「待機中」。

倉庫の奥で、ベルトコンベアの音が止まった。

「出荷指示が出ません」

ベンダーの声が低くなった。

「新しい倉庫は、夜間バッチを止めない運用です。止めると、再開まで3時間かかります」

会議室が静かになった。

現場のリーダーが腕を組んで、浅野を見た。何も言わない。

「浅野さん、ここ、どう判断しますか」

一ノ瀬だった。声に責める調子はない。分からないことを、そのまま聞いている。

「止めたまま進めるか。戻すか。戻すなら、どこまで戻すか」

「手順では……次は5番です。新システムの在庫照合を」

「手順は僕も読みました。ここは、どっちに倒しますか」

浅野は6番を読んだ。7番も読んだ。

読み終わっても、誰も動かない。

紙のどこにも、判断の根拠は一行もなかった。浅野の頭の中にも。

現場のリーダーが、壁の時計を見た。6時40分だった。

部長室で経歴書を開く

昼前に、浅野は部長室に呼ばれた。

久世の机に、職務経歴書が置いてあった。「主導」の行に、赤い線。

久世はその線を、指でなぞった。

「切替の判断基準は、前の会社でどなたが決めたのですか」

浅野は口を開けた。閉じた。もう一度開けた。

「……竹内さんです」

「そうですか」

久世は怒鳴らなかった。声の高さは、面接のときと同じだった。

「課長代理は外します。入替の指揮は、一ノ瀬さんが取ります」

「試用期間は延ばしません。一般職として、このまま在籍してください。給与は規定どおりになります」

規定どおりの数字は、前の会社の年収より年に20万円低かった。

「あなたには、打合せの議事メモをお願いします」

浅野は何か言いかけて、やめた。


翌週、名刺の箱が届いた。100枚の「課長代理」。

箱は開けない。引き出しの奥へ入れる。

打合せの席で、ベンダーの担当者が明るく言った。

「元リーダーの浅野さんにも、前の事例を聞きたいですね」

「いえ……私は、議事を」

一ノ瀬の机には、27ページ全部を印刷したひな形があった。最後のページの脚注に、蛍光ペンが引いてある。

浅野はノートに書いた。誰が何を決めたか。

議事メモだけは、誰よりも速く書けた。


1か月後、浅野は議事メモを部長室に持っていった。

久世は最後まで読んで、赤ペンを持たずに顔を上げた。

「誰が決めたか、全部書いてありますね」

浅野は頭を下げた。久世は紙を机に置いた。

「最初から『参画』と書いてあれば、会議にはお呼びしていました」